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脳死による臓器移植の真相-脳死者は臓器を取られると驚愕する

『唯物論教育を受けた医者から見れば、「臓器をもらえば助かる人がいるのだから、死にかけている人、あるいは死んだ人から臓器を取って、助かるほうの人に移植すればよい。それで、その人が何年か生きられるのであれば、そのほうがよいではないか」と言いたくなるでしょう。
その気持ちは分かります。医者たちは、「人間の寿命を延ばすことが医者の仕事だ」と
思っています。そのため、彼らには、「悪いことをしている」という気持ちはなく、そこには
愛の心もあるのだろうとは思います。
したがって、私は、臓器移植について、あまり否定的なことは言いたくないのです。実際、「心臓をもらえば助かる」「肝臓をもらえば助かる」などと言っている人たちに対して、
「臓器移植には難しい問題があります」と言うのは、何か意地悪をしているようで、自分
でも嫌になります。むしろ、「どんどんやってください」と言えば、簡単で楽だろうと思うのです。
また、日本はよくアメリカのまねをするので、いくら私が「問題がある」と言っても、やがて、アメリカと同じようになっていき、臓器移植がどんどん行われ、臓器ビジネスも繁盛し、臓器は高い値段で売り買いされるようになるだろうと思います。
流れとしては、そのようになっていくのでしょう。
ただ、私は、真相を知っている者として、やはり、言わないわけにはいかないのです。
一部の医者たちは、彼らの言う脳死状態、すなわち、脳の機能等が完全に停止している状態を、「人間の死である」と強引に言っています。しかし、日本では、脳死による臓器移植は、まだ、それほど盛んではありません。
ほんとうは、医者や看護師も、実際の脳死者を見ると、死体だとは思えないのです。
なぜなら、心臓が動いているからです。心臓が動き、血液が流れていて、顔色もよいわけです。そのため、臓器を取り出すことが、やはり怖いのです。
なかには、「脳死状態になってから百数十日後に赤ちゃんを出産した」という人もいるぐらいです。死体が赤ちゃんを出産するはずはないでしょう。
脳死を「人間の死である」とするのは、脳が人間の全部を決めているように考える、一種の狂信、妄信です。彼らは、そういう刷り込み、洗脳によって、「脳が人間の本体なのだ」と思っているため、そう考えようとしているだけなのです。
現実に、"生もの"を見たら、心臓が鼓動を打っている人を死体と見ることは無理です。
心臓が動いている人を見て、「この人は死んでいる」と言えるわけはないのです。
彼らは、知識的な学問をあまりにもやりすぎて、おかしくなっているのであって、現実の
人間として見れば、脳死者は死んではいないのです。』
 -2007年1月
     ----- 「復活の法」 第1章 生死を越える道 より

H0213.jpg

ご訪問ありがとうございます。
ほんとに暑いですね。
年寄りを抱えていると、この暑さは少しきついですね。
若い私(?)でもけっこうきついのに、高齢者はもっときついですね。
体温調節もなかなかできないし、熱中症も怖いので、
水分補給はしっかりしないと駄目ですね。これは水分?
あっ、皆様も、熱中症には気をつけてくださいね。

さて、今日のタイトルを見て、驚かれた方も多いのではないかと思いますが、
最近のニュースを見ていると、書かずにはおれなくなってしまいました。

意思不明、家族承諾のみで初の臓器提供 20代の男性 - MSN産経
日本臓器移植ネットワークは9日、関東地方の病院で交通事故のため脳死状態になった20代の男性について、本人は文書で臓器提供の意思を示していなかったが、家族が脳死判定と提供を承諾し、法的に脳死と判定されたと発表した。7月に施行された改正臓器移植法に基づく初のケース。
 移植ネットによると、男性は生前、家族に対し、「万が一の時は臓器提供してもよい」と口頭で臓器提供の意思を伝えていた。数人の家族の総意により、提供を決めたという。移植ネットは、本人が提供を拒否していないことを意思表示カードや健康保険証、運転免許証に記載がないことなどで確認したとしている。
 男性は交通事故で病院に入院し、5日に家族が臓器移植について移植コーディネーターの説明を受けることに同意。8日に脳死判定と臓器摘出の承諾書にサインをした。
 6歳以上の場合の法的脳死判定は、2回の検査の間隔を6時間以上空け、2回目終了時が死亡時刻となる。男性の1回目の法的脳死判定は8日午後9時半に始まり、同11時12分に終了。2回目は9日午前10時26分に始まり、同11時55分に終了した。臓器摘出手術は10日午前3~4時ごろ始まる予定。
 家族は心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)、小腸、眼球の提供を承諾している。

(一部転載)

本人意思不明で脳死判定 「体の一部生きていればうれしい」と家族承諾 改正法施行後2例目 - MSN産経
日本臓器移植ネットワークは19日、近畿地方の病院で脳死状態になった18歳以上の男性について、家族が脳死判定と提供を承諾し、法的に脳死と判定されたと発表した。男性は文書による臓器提供の意思表示をしておらず、家族は「臓器提供について本人と話をしたことはない」と説明しているという。7月の改正臓器移植法施行以降、同法に基づく家族承諾による脳死判定は、今月9日に関東地方の病院で判定された20代の男性に次ぎ2例目。
 移植ネットによると、男性の家族は「もう助からないのであれば、どこか体の一部が生きていればうれしい。元気な体なので、たくさんの人の役に立ってほしい」と話していたという。男性の年代や、死因、提供病院などについては家族の希望で公表されていない。
 男性が提供を拒否していないことについて、移植ネットは、意思表示カードを持っていないこと、健康保険証、運転免許証に記載がないことなどで確認したとしている。
 移植ネットによると、男性の家族は17日夜に臓器移植について移植コーディネーターの説明を受けることに同意。18日昼ごろ、脳死判定と臓器摘出の承諾書にサインをした。
(一部転載)

昨年の7月に、臓器移植法の一部が改正され、今年7月施行になっていましたね。
厚生労働省:政策レポート(臓器移植法の改正について)

8月に入って、20代の男性の臓器提供の発表があったと思ったら、
今度は、18歳以上の男性の提供の発表がありましたね。
先の報道の時も、私は、「ああ・・」と思ったのですが、こんなに早く、
次の方が現れるとは思わなかったですね。

そして、この改正法の適用においては、課題があると、産経も指摘されていますね。

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【口頭意思で臓器移植】5医療機関で終了 情報公開・意思表示・脳死の概念…改正法初適用で課題 - MSN産経
家族の承諾だけで臓器提供を可能にした改正臓器移植法に基づく初の脳死からの臓器移植が全国の5医療機関で行われた。臓器提供者(ドナー)の男性は口頭で提供の意思を家族に伝えていたが、文面は残していなかった。日本臓器移植ネットワークはプライバシーを理由に家族が承諾に至った経緯をほとんど明らかにしていない。文面による意思表示を前提としてきた移植医療が転換期を迎える中、情報公開や意思表示のあり方など新たな課題が浮かび上がった。

 ■あいまいな回答
 ドナー男性の法的脳死判定終了後の9日夕、厚生労働省で行われた日本臓器移植ネットワークの記者会見。ドナー家族が提供を承諾した経緯や男性がどのように提供の意思を示していたのかについて質問が集中した。約1時間に及んだ会見で移植ネットの小中節子医療本部長は「把握していない」「確認が必要」とあいまいな回答に終始した。
 報道各社がさらなる説明を要請すると、翌10日朝になって「家族で臓器移植関連のテレビを見ていた際、本人が口頭で臓器の提供意思を示した」とファクスで回答。再度の会見要請には応じなかった。
日本移植者協議会の大久保通(みち)方(かた)理事長は「ドナー家族のプライバシー保護は大原則」としたうえで、「移植に至る手続きなどについては、適切に行われたことを示し、社会の理解を得るためにも、言えることといえないことをもっと明確にすべきだった」と語る。
 厚生労働省は9月に開かれる「検証会議」で家族の意思確認などの手続きが適正だったかを検証する。

 ■家族に意思を
 7月の改正法施行により、本人の書面による意思表示がなくても、家族の承諾で臓器提供が可能になった。逆に家族が承諾しても、本人が提供を拒否していなかったかどうかの確認作業が重要になった。
 今回のケースはドナー男性が生前、「万が一の時には提供してもいい」と家族に話していたことが提供の決め手となった。
 移植ネットが男性の意思表示カードがないことや、保険証、免許証に「拒否」の意思が記されていないこと、インターネット上の臓器提供意思登録システムにも登録がなかったことなどを確認して、法的脳死判定へと手続きが進められた。
 平成9年に長女、朝子さん=当時(24)=を交通事故で亡くし、ドナー家族となった間沢容子さん(64)は、朝子さんが日頃から「もしものことがあったら臓器提供して」と話していたことから提供を決意。「日頃から臓器提供について、家族で話し合うことが大切です」と訴える。
■「脳死」とは?
 脳死移植が盛んな海外では、一般に「脳死=人の死」という概念がある一方、国内では依然、脳死を人の死とみるかどうかについて議論があり、それが提供数が増加しない一因と指摘する声は多い。
 世界保健機関(WHO)移植アドバイザーで東京歯科大角膜センターの篠崎尚史センター長は「医学的に脳死=人の死であることは多くの医師の共通認識」とする一方、「国民が納得するには、実際に脳死を身近なところで経験していくことが必要」と指摘する。
 「改正法は、法的脳死判定で脳死と判定されれば『人の死』ということを明確にしたもの。脳死や脳死判定を否定する人は対象にしていない」。改正法の提案者でもある河野太郎衆院議員は、こう説明したうえで「人の死を決めるのは医師。その医師が患者の家族に対し、脳死についての説明を丁寧に行っていくしかない」と訴えている。(長島雅子、豊吉広英)


7月の改正法施行によって、本人の書面による意思表示がなくても、
家族の承諾で臓器提供が可能になったんですね。
でも、逆に家族が承諾しても、本人が提供を拒否していなかったかどうか、
その確認作業が重要になったとも言われていますね。

でも、そもそも、この「脳死」とは、ほんとに、「人の死」なのでしょうか。
といっても、この改正法は、法的脳死判定で、脳死と判定されれば、
「人の死」として、判定されてしまうものなんですね・・。

『霊的に見ても、そのとおりです。心臓が動いている状態では、まだ死んでいません。
その状態で、「自分は死んでいる」と思っている人はいないのです。
事故などによって脳の機能が止まっている人はたくさんいますが、そういう人も、霊体のほうの意識は、はっきりしていて、周りの人の話も、きちんと聞こえています。
そのため、彼らには、「自分は死んでいる」という認識はないのです。
したがって、「『自分は死んでいる』という認識がない状態の人から、臓器を取って、
他の人に移植すると、生体解剖のようになります」と私は述べているわけです。
「自分は死んでいない」と言っているのに、いきなり、メスで胸を開けられて、心臓を取られたりしたら、みなさんは、どうしますか。驚くか、怒るか、そのどちらかでしょう。
「おれは生きているぞ。臓器を取らないでくれ」と喚いても、その声は周りの人には聞こえません。「この人はドナーカードに記入していますから」と言われて、臓器を取られてしまいます。本人は、「ドナーカードといっても、それは、死んだときの話だろう。おれは、まだ生きているのだ」と言っているのですが、周りの人には聞こえないのです。
体は動かないけれども、魂は「自分は生きている」と叫んでいる状態で臓器を取られると、本人は承認も納得もしていません。したがって、そのあとが大変なのです。
脳死状態の人が生きていることは間違いないので、「脳死は人の死だから、脳死状態の人から臓器を取ってもよい」という法律ではなく、「生きている人から臓器を取ってもよい」という法律にするならば、それはそれで筋が通ります。
「『より長く生きられる人のために、もうすぐ死ぬ人から臓器を取る』というのは、やむをえないことである。本来は殺人罪になるけれども、医学的見地から医者には違法性がないことにする」と言うのならば、それも一つの考えではあるかと思います。
しかし、「臓器移植をするために、生きている人間を死んだことにする」ということは、
実際論としては無理があると言わざるをえないのです。
脳死者は死んでいません。そのため、臓器を取られると驚愕します。
アメリカでは、脳死状態になると、たいていの場合、その人の臓器を取りに来た人たちが病院の廊下で待っています。医者や看護師たちが、「脳死判定が出たら、即、臓器を取ろう」と思って、廊下で待っているわけです。新鮮な臓器が欲しいので、一秒でも早く取ろうとしているのです。
これは、臓器を取られる人から見ると、まさしく、「赤鬼や青鬼たちが自分を襲いに来る」というようにしか見えません。彼らは非常に驚愕し、怒っています。』
 -2007年1月
     ----- 「復活の法」 第1章 生死を越える道 より

今日は、「脳死」と臓器移植についてのテーマを選んでみました。

脳死による臓器移植の真相-脳死者は臓器を取られると驚愕する
脳死を「人間の死である」とするのは、脳が人間の全部を決めているように考える、一種の狂信、妄信です。彼らは、そういう刷り込み、洗脳によって、「脳が人間の本体なのだ」と思っているため、そう考えようとしているだけなのです。
現実に、"生もの"を見たら、心臓が鼓動を打っている人を死体と見ることは無理です。心臓が動いている人を見て、「この人は死んでいる」と言えるわけはないのです。
彼らは、知識的な学問をあまりにもやりすぎて、おかしくなっているのであって、現実の人間として見れば、脳死者は死んではいないのです。

脳死を「人間の死である」とするのは、脳が人間の全部を決めているように考える、一種の狂信、妄信です。彼らは、そういう刷り込み、洗脳によって、「脳が人間の本体なのだ」と思っているため、そう考えようとしているだけなのです。

霊的に見ても、そのとおりです。心臓が動いている状態では、まだ死んでいません。その状態で、「自分は死んでいる」と思っている人はいないのです。
事故などによって脳の機能が止まっている人はたくさんいますが、そういう人も、霊体のほうの意識は、はっきりしていて、周りの人の話も、きちんと聞こえています。そのため、彼らには、「自分は死んでいる」という認識はないのです。

「臓器移植をするために、生きている人間を死んだことにする」ということは、実際論としては無理があると言わざるをえないのです。
脳死者は死んでいません。そのため、臓器を取られると驚愕します。


大川総裁は、肉体的にも、霊的に見ても、脳死者は死んでいないと言われていますね。
そして、まだ死んでいないため、臓器を取られると驚愕すると言われています。
まだ死んでいない人の臓器を取っているんですね。
これは、殺人とも呼べるかもしれませんね・・。

人間の本体が脳だと思われている方々は、脳の機能が停止すると、
もう、人間は死んだと思ってしまわれるんですね。
でも、人間には、魂、心というものがあります。

私の父は、もう、何年も前から、脳の萎縮が始まっており、
直近のことを忘れたり、もう、新しいことは覚えられませんが、
心(魂)に訴えて話をすると、とってもよく通じます。
脳の機能が低下し、日常の動作が出来なくなっても、
喜怒哀楽の感情は、ちゃんとありますね。
それは、人間の感情というものは、脳で考えているものではなく、
心で、魂で感ずるものであるという証拠ですね。

さて、この「復活の法」第1章の生死を越える道という章は、2004年7月4日に
「永遠の生命の世界」の講義を行われたものを、書籍化されたものですね。
そして、その「永遠の生命の世界」という書籍は、
「脳死は人の死ではない。真実の世界から見た「臓器移植」の問題点」
ということで、当時、緊急発刊された書籍だったんですね。
大川総裁は、この書籍が出される以前から、「脳死は人の死ではない」
と、ずっと、訴え続けておられましたね。

「霊子線」が切れたときが死である
『現代の医学では、脳死ということで、「人間は脳波が止まったときに死ぬ」と言われています。(脳の全体的な、回復不可能な機能停止)。
肉体的には確かにそうかもしれませんが、実際には、人間は、肉体のなかに魂が宿っているかたちになっていて、魂が肉体から抜ける段階が、ほんとうの死なのです。
魂が抜けないと、死とは言えません。魂が肉体のなかに入っているうちは、まだ、
ちょうど、眠っている状態に近く、魂が肉体から抜けて初めて、ほんとうの死の意味に
なるのです。
魂が抜けるのに、通常、一日はかかります。
人が死ぬと、通夜というものをしますが、通夜をする理由は、魂が抜けるまでの時間を稼ぐことにあります。死んで、すぐに火葬場に持っていき、焼いてしまうと、本人は、自分の死んだことが分からず、「自分はまだ生きている」と思っているため、大変なことになります。そのように、すぐ焼いてしまうと困るので、一晩、通夜をするのです。
そして、人々が、黒い服を着て集まり、涙を流したりしているのを見、自分の写真が飾ってあるのを見て、本人は、「もしかして、自分は死んだのかな」と思いはじめます。
そのような意識が出てくると、魂が、だんだん肉体から分かれてきます。魂が肉体から遊離したときが死です。
肉体と魂のあいだには「霊子線」というものがあり、この霊子線が切れたときが、ほんとうの意味での死です。これが完全に切れていない場合は、まだ死んでいないのです。
霊子線が切れていないと、肉体の意識が魂に伝わります。これが切れると、肉体に何をされても、魂のほうは、まったく感じなくなるのですが、これが切れていないときに、肉体をいじられると、魂のほうは、それを感じます。死んだように見えていても、それを感じるのです。
したがって、脳の機能が止まったときに、肝臓や腎臓などを取られた場合、どうなるかというと、それは、「生きている人が、おなかにナイフを突っ込まれ、内臓を切り取られる」ということと同じになるのです。
あなたは、それに耐えられるでしょうか。「かまわない」と言うならば、それでもよいし、「嫌だ」と言えば、それまでです。どちらでもよいのですが、結論を言うと、「痛い」ということです。痛みを感じるのです。霊子線が切れていない以上、魂は肉体の痛みを感じるわけです。
脳の機能が止まった段階で、医者が、安心して、あなたの臓器を取ったら、あなたは、ものすごく痛いのです。痛くて、しばらく驚愕します。それは事実です。
ただ、「自分は死にゆく者だ」という自覚ができて、「この痛みに耐えて、ほかの人のためになるなら、それでよい」と思うのであれば、それも結構かと思います。
内臓の取り出しは、ほんとうは、死後一日たってから、やってほしいのですが、それだと、内臓が古くなってしまい、移植を受けた人が助かりません。古い内蔵では、移植を受けた人が、すぐ死んでしまうので、内臓は、新しく取りたてのものが欲しいのです。
実際は、そういうことです。
その場合、取られるほうは痛いので、それだけは覚悟してください。』
 -2004年4月
     --- 「永遠の生命の世界」 第2章 死後の魂について(質疑応答) より

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脳死の状態は、肉体的にも、心臓がまだ動いていて、血液も流れているんですね。
そして、脳死の状態で、赤ちゃんを生まれた方がいるということは、
脳の機能が停止していても、他の臓器や、肉体の器官は、まだ動いているんですね。
そして、霊的には、霊子線が肉体から離れたときが、人間の死だと言われています。
昔の人は、そのことを、よく分かっていらっしゃったんですね。
だから、お通夜と言うものをしていたんですね。

それにしても、脳死の状態で、臓器を切り取ってしまったら、
ほんとに痛みを感じるんですね。
うっうっ、考えるのも怖いですね・・。

脳の機能が止まった段階で臓器を取られたら痛い
『もちろん、臓器を提供すること自体は愛の行為だと思いますが、そのような苦しみを
伴うということは知っておいてください。
それから、移植しても、うまくいかない場合があるのは、意識にずれがあるからです。
たとえば、あなたの腎臓や肝臓を、あなた以外の人のところへ入れても、そのままでは、うまくいきません。意識が違うからです。要するに、「他人のものが入ってきた」ということで、移植を受けた人が拒絶反応を起こすのです。他人の魂が体のなかに入り込んでくるので、それを拒むわけです。
これをなくすためには、移植を受けた人のほうは、感謝の心、「ありがたい」という気持ちを持つことが、ぜひとも必要です。
また、臓器を提供した人に対しても、ほんとうに成仏してくれるように、一生懸命、お祈りをしておく必要があります。もし、その人が苦しんでいて、「痛い、痛い」と言っていたら、臓器のほうにも影響が出てくるので、それが調和することはないと思います。必ず不調和を起こします。
医者は、臓器移植をする場合には、そういう霊的事実を全部知った上で、やっていただきたいのです。
したがって、医者は、まず、死んでいく人に対して、「あなたが亡くなったら、あなたの
臓器を他の人に移植するけれども、そのときに、あなたがどうなるかということは、よく知っておいて、了解しておいてください」と言い、移植を受ける人に対しては、「これは
一つの臓器だけれども、その意識は、あなたとは別なのだから、これと調和するように、一生懸命、感謝しなさい」と言うことです。そういうことをしなければだめです。
あとは、臓器の提供をする人が、「脳の機能が止まった段階で臓器を取られたら痛い」ということさえ覚悟しておいていただければ結構です。
これを読んでぞっとしたかも知れません。しかし、事実なので述べておきます。そのときになって、「ちょっと待ってくれ」と言っても、誰にも聞こえず、待ってもらえません。
臓器を切り取られてしまうと、きついのです。それだけは言っておきます。
同じことは、火葬場で遺体を焼く場合についても言えます。
「忙しいから」「アパートが狭くて、置いておけない」などという理由で、死んですぐに
遺体を焼いてしまうと、死んだ人は、あとが大変で、そう簡単に成仏しません。
やはり、なるべく一日おいてください。そして、そのあいだ、死んだ人に対して、一生懸命、説得しておくことです。「真っすぐに、あの世に行ってください。この世に帰ってきて、誰かに憑依したりは絶対にしないでください」と言っておくことです。大事なことです。』
 -2004年4月
     --- 「永遠の生命の世界」 第2章 死後の魂について(質疑応答) より

アメリカでは、もう、ずっと以前から、臓器移植はされていたんですね。
大川総裁は、まだ、日本で、臓器移植をされていないときから、
いずれ、この日が来ることが分かっていたので、早々と、訴えられていたんですね。

臓器移植を望まれる方は、きっと、藁にもすがる思いで待たれているのでしょう。
移植が実現しなければ、自分の命はいずれ尽きる。
だから、自身も、その家族の方々も、きっと、祈るような思いで、
臓器移植を待たれているのだと思います。

そして、自分が死ぬときに、自分の臓器を提供することによって、
人様の命を救うことができるなら、臓器移植してもいいのではないかと、
心から、善意の気持ちで考えられている方もいるでしょう。

でも、大川総裁が言われているように、脳死の状態で、臓器を取られたら痛いのです。
そして、本人が、臓器提供を承諾していたとしても、そのあまりの驚愕に、
そのあまりの痛みに、怒り狂い、そして、移植された方に取り憑いたりして、
ちゃんとあの世に還れなくなる方がいらっしゃるみたいですね。

臓器提供を承諾されていても、霊的真実を知らなかったら、驚愕を受けるんです。
これが、承諾されていない方だったら、その驚愕は、どれほどのものになるのでしょうか。
今月に入って、家族の承諾で、お二人の方が、臓器提供者になられたという報道を見たとき、
これはやはり、お伝えしなければいけないことだと強く感じたんですね。

そして、今回のように、人様を助けるためだけではなく、
その臓器自体が、売買の目的のために切り取られているという事実もありますね。

臓器ビジネスによって闇の世界が広がりつつある
『それから、懸念されることは、やはり、臓器ビジネスです。臓器の売買です。これによって、闇の世界がかなり広がりつつあります。地獄的なものが、かなり広がっています。
臓器は貴重なもので、高く売れます。そのため、闇取引がかなり流行っているのです。
東南アジアでは、生きている子供の腎臓の片方を取って売る親が出てきています。
貧しい家では、子供の臓器を売る親も出てくるのです。
今後、そういう闇の取引、非合法の売買も増えていくでしょう。怖いことです。
そのような思想がまかり通るのであれば、たとえば、死刑囚に対して、「×月×日×時に電気椅子で処刑された」ということにして、現実には麻酔をかけて臓器を切り取ってもかまわないことになります。「電気椅子にかけられて死んだ」ということにすれば、
新鮮な臓器が取れるのです。「どうせ、その時刻に死ぬのだから、同じことだ。だから、臓器を取ってしまえばよい」というわけです。
そういうことだって起きるでしょう。
「本人に、『死んでもよい』という自殺の意志があり、臓器を提供する意志もある」という場合の臓器ビジネスも流行ってくるかもしれません。
「生きたい」という人間の欲望に付け込んで、臓器が何百万円や何千万円という値段で取引される商売が始まると、やはり、穢れが入ってきます。
仏教的には、布施について、「三輪清浄」ということがよく言われています。布施をする人、布施を受ける人、布施するもの、この三つにおいて、どれにも穢れがないこと、
執着がないことが大事なのです。
この基準で見ると、布施をする人、すなわち、臓器を提供する人が、まだ、臓器に執着したり、この世に執着したりしている場合には、そこに穢れがあります。また、施物、
すなわち臓器そのものも、そういう闇のビジネスで取引されていると、そこに大変な
穢れが生じます。
さらに、臓器を受け取る本人や家族のほうも、唯物論的に、ただただ「寿命を延ばせばよい」と考え、物だと思って臓器をもらうようであれば、そこにも穢れが生じます。
脳死状態は突然にやってくるため、しかたがない面はあるのですが、ほんとうは、
「真実の世界を知った上で、『私の臓器を、この方にあげたい』」という気持ちがあって、臓器を提供する。そして、安らかに死んでいき、執着なしで天国に還っていける」というかたちがよいのです。
そのかたちになるのならば、三輪清浄が成立する可能性はあると思います。
しかし、現実を見ると、「それは、かなり厳しいのではないか。そこまで悟った人が、
この世に、それほどたくさんいるだろうか」と感じます。
そう簡単に自分の死を受け入れられない人がほとんどです。お坊さんであっても、いざ自分が死ぬ段階になったら、怖いのではないでしょうか。「死にたくない、死にたくない」と言って死んだ人は大勢いるので、やはり、なかなか、そのようなかたちにはならないかもしれません。
したがって、「臓器移植には、けっこう難しいものがある」と私は述べているのです。』
 -2007年1月
     ----- 「復活の法」 第1章 生死を越える道 より

ウィグル人が告白:中国の臓器狩りは珍しくない


臓器ビジネスが流行ってくるかも知れないと、随分前から、大川総裁は言われていましたが、
中国では既に、この臓器売買が、行われているんですね。
そして、あろことか、中国政府が行っているとの証言がありましたね。
また、その他の発展途上国の一部でも、この臓器売買は、
公認されているところもあると言われていますね。

臓器売買をするということは、恐らく、生きたまま、もしくは、
死後すぐに臓器を取り出しているということですね。
人間の臓器は、既に、物として扱われているんですね。
これは、死ねば、何もかも終わりだと思っているから、
こんなことができるのではないでしょうかね・・。

人間は、永遠の生命を生きています。
死んで、肉体を焼かれても、その魂は残ります。
そして、必ず、あの世という世界に還ります。
でも、霊子線がつながったままの状態で、臓器を取り出されてしまったら、
驚愕のために、あの世にスンナリ還ることが出来なくなったり、
恐怖や恨みが強いために、天国に還れず、地獄に堕ちてしまうこともあるでしょう。

自分の身をもって、人様の命を助けるという行為は、とってもすばらしい行為です。
でも、真実を知らないままに、それをしたとき、そして、自身が承諾してもいないのに、
それがなされたとき、臓器を提供した方も、そして、された方も、幸せにはなれません。

霊など信じない。
死ねばすべて灰になって終わりと思っていらっしゃる方も、
死ねば、その真実は、いやでも体験することになります。
私は、もう、ずっと前から、この真実を知り、そして、
臓器移植の怖さを、ずっと感じていました。

日本は法律で、「脳死は人の死である」と認められ、
臓器移植が出来る国になってしまいましたが、今はまだ、
自分の意志を示していれば、勝手に臓器移植をされることはないでしょう。
万が一、脳死になったとき、臓器提供する意思があるかないかは、
家族には、ちゃんと、伝えておきましょうね。
そうでなければ、今回の方たちのように、家族の意思で、
臓器提供されてしまいますからね・・。

あっ、私の意志ですか?
私は、もちろん、臓器提供はしません。
生きたまま、体を切り刻まれるのには、到底、我慢できそうにありませんし、
まだまだ、悟れそうにもありませんから。
うん。痛いのは、いや・・。

今日は、脳死と臓器移植の問題を取り上げてみました。
人間の本体は、脳ではありません。
人間の本体は魂です。

人間は、永遠の生命を生きています。
魂は、絶対に死にません。
それだけは、心の片隅に置いておいてくださいませ。
いきなり死んでしまったときに、慌てなくてすむようになりますから。
「信じるものこそ救われる」です。はい。

あっ、魂は生きているから、今、霊言が降ろされているんですね。
すごい時代に、私たちは生きているんですよね。

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「人生は一冊の問題集」
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